みずたに探究室。 ゆる〜いアスリートの日々の気づき

ひっそりと生きているアスリートが、日々の気づきや探究結果を公開しています。以下、絶賛連載中! "日本一ゆるい陸上選手の〜"シリーズ ①エッセイ『アスリートが社会のレースから降りてみた』 ②生き方提案『心が軽くなるネコ型お気楽ライフのすすめ』 ③指導の哲学『心を殺さない指導 脱・勝利至上主義』 ④走りの哲学『走りの3種の神器 -腹圧・乗り込み・重心移動-』

<<<旧記事>>>【マラソンの応援を見て思っちゃった】

本日、東京マラソンで大迫選手が日本記録を出してオリンピック出場権を得た。

 

競技をしていると声援を送られる機会が多い。

身内からはもちろん、沿道などから知らない人からの声援まである。

僕は、がんばれ!という声援は嫌いだ。

がんばるかどうかは本人が決めればいいと思っている。

声出しが義務のチームを見ていると、気持ち悪いとさえ思っている。


とはいえ、声援の力は強い。本当に頑張るモードに入れるからだ。しかしそれはあくまで一時的に過ぎない。思い込みであり、勘違いである。試合の時に、その期待を一時的に利用する程度に留めて欲しい。

日本記録保持者の知人に話を聞いても、"あの雰囲気だから日本記録を出せた"と言っていた。だから声援の力は偉大だ。

だからマラソンを見て考えた。

例えば選手紹介されたとき、例えば選手が目の前を走り抜けたとき、"がんばれ!"以外の声援はないだろうかと。

僕はもう、"大迫さいこー!"  "待ってましたー!"でいいんじゃないかと思う。

"マラソンさいこー!" "陸上サイコー!"と観客がお祭り騒ぎで盛り上がっていたらそれでいいんじゃないかと思う。

3歳くらいの女の子が、

目の前の大迫選手に向かって、"大迫選手、大好きー!"って叫んでいたらそれが1番の力になるんじゃないか。

例えば選手が足をつったとして、"足つってるけどがんばれ!"より、"足つってるけど大好き!"の方が選手の力になるんじゃないか。

そんなことを考えた。

 

モチベーションを他人からの声援だけに依存しすぎると、おそらくどこかで"なんで自分は走ってるんだ?"  "なんで頑張る必要があるんだ?"と、足が止まる瞬間がくる。

そのときにはもう、自分ではその理由が分からなくなるくらい自身の本音が自分に届かなくなっている。

だからストイックになるざるを得ない人は、以下の言葉を自分自身に問いかけて内省してみてほしい。

"自分はそもそも走ることでどんな感情を味わいたいのか"

この言葉を定期的に思い出してほしい。


日本は夢を持たなければならない風潮がある。

特にアスリートは目標を高く掲げないと許されない。

だから頑張る理由を1つでも増やしたくなる。

"がんばれ!"という声援もその1つとして利用したくなる。でもその声援は麻薬だ。依存すると、いつか身を滅ぼす。

 

最後に。10代・20代の人には、夢や目標を順位や肩書き・職業にしないでほしい。

夢を、"自分が求める感情・感動"に置き換えて考えるだけでずっと楽に生きられる。そしてその方が結果的に、より高い場所までたどり着けるのだ。

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