みずたに探究室。 ゆる〜いアスリートの日々の気づき

ひっそりと生きているアスリートが、日々の気づきや探究結果を公開しています。以下、絶賛連載中! "日本一ゆるい陸上選手の〜"シリーズ ①エッセイ『アスリートが社会のレースから降りてみた』 ②生き方提案『心が軽くなるネコ型お気楽ライフのすすめ』 ③指導の哲学『心を殺さない指導 脱・勝利至上主義』 ④走りの哲学『走りの3種の神器 -腹圧・乗り込み・重心移動-』

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1つ前の記事に書いたと思うが、大学3年目の春に陸上競技の大会でチーム・個人ともに人生最高の経験をした

 

しかしそこで陸上競技を通して得られるであろう、これ以上ない達成感を味わってしまったためか、その日から引退までの1年半、"心のガス欠"のような日々が続いた。

あれが俗に言うバーンアウトという現象だったのだろうか。

 

あの時の心境を表すと、練習に身が入らないというレベルをはるかに上回り、人生そのものに身が入らないという感覚だったことを覚えている。

日中も夜寝る時も朝起きた時も、常に頭がボーッとしていて活力が湧いてこず、気分は出口の見えないトンネルの中にいるように沈んでいた。

6月と7月は、関東インカレの勢いがあってか、そんな思いとは裏腹に400mでも800mでも生涯ベストとなる記録を出している。

しかし夏にはそれも終わり、そこから体と心が噛み合わなくなった。練習でも試合でも全く自分の走りができず、さらに悔しさすら湧いてこない。何か糸がプツリと切れてしまったようだった。

 

大学3年目の秋からは就職活動が始まり、練習時間すら思うように確保できなかった。

11月〜3月頭までの生活は以下のようだった。

 

午前中に企業説明会をはしごし、お昼を外で食べながらESの作成、午後は再び企業説明会や採用面接をはしご、夜自宅へと帰るとようやく1人で練習、そして夜中の2時頃までES作成。

 

このような日々が続き心身ともに追い詰められた。モチベーションが一向に上がってこない不安だけでなく、将来への不安・練習時間を確保できない不安・そしてグラウンドに行ける時間がなくなり何故かホッとしている自分への苛立ち。不安で押しつぶされそうだった。

そんな中での救いは、ちょうどクリスマスの時期に関東学連のグアム合宿があり、少し陸上の楽しさを思い出せたこと、そして大学最後のシーズンが始まる直前の3月には就職活動が落ち着いていたことである。

 

就職活動によって競技と少し距離を置くことができ、さらに大企業から内定をもらえたことも大きな弾みとなり、事態は好転すると思っていた。

が、3月の沖縄合宿を経ても、4月にシーズンインをしても火がつかず、走っていて"あー、まただ。またスイッチが入らない。なんだこれ。これ本当に俺の体なのか。"と、心は冷めきっていた。体と心がバラバラだった。

 

迎えた5月の関東インカレ、当然試合メンバーからは漏れると思っていたが、400mの3人の中に選ばれた。正直気分は複雑だった。新入生に明らかに自分より速い選手がいたからだ。昨年の実績を買われて選ばれたのか、復活を期待されて選ばれたのかは分からないが、とにかく選ばれた。こんな状態でスタートラインに立つなんて、全アスリートに失礼だと思った。1〜2年目、インカレに出たくてあんなに努力していた自分が、まさかこんな心境で関東インカレを迎えるとは思っていなかった。

去年の自分のように、闘争心むき出しの仲間を見て、羨ましくも思った。

 

しかしそんな中、インカレの舞台を走れば何かが変わるという予感がしていた。

そして予感は的中した。当日のウォーミングアップから、何か胸が踊るような感覚があった。

1年間もぬけの殻だった身体に、心が戻ってきたような、そんな気がした。

400mの予選、それが確信に変わった。

この1年間は400mの200m手前で動きがバッタリ止まっていたのだが、この日は200m過ぎても身体が動いた。むしろ身体より気持ちの方が先行していたようにも感じる。

結果、日本代表の加藤修也選手と並んでゴールすることができた。

予選を通過した以上に、"もう大丈夫だ、これで暗闇は抜けた"という安堵が大きかった。

 

続く準決勝、組で4着に入れば自動的に決勝進出なのだが5着で落ちた。

熊谷の台風のような風で自分が進んでいるのか、自分のレーンをちゃんと走れているのかわからない、そんな中でのレースだった。

ボボボボッという暴風の音に聴覚を奪われ、私は外側のレーンだったため視覚的にも自分が何番手にいるのか分からず、何が起きているのか分からないまま終わってしまった。今となっては正直運がなかったと思う。

400mを45〜47秒で走る大学トップの選手たちが、そのレースに限っては49〜50秒と中・高校生レベルのタイムしか出なかった。

 

準決勝で落ちた自分を、コーチや仲間は励ましてくれた。ただ前述したように自分は安堵感の方が大きかった。

そこからの1週間は翌週の4×400mRに向けて練習をした。ただ困ったことに、体が思うように動かなかった。今になって思えば、ただ久し振りに会心のレースをしたことによる疲労だったのではと思うが、当時の自分は"再燃したはずの気持ちは、どこかに消えてしまった?そんなはずはない"と無理に練習をしてしまった。そして太もも裏を痛めてしまい、リレーに出ることは叶わなかった。

 

関東インカレ2週目は選手のサポートに回った。自分の出場しないインカレを見るのは複雑だった。そんな中、仲間たちは大活躍をした。特に自分が所属していた800mブロックの同期は、男女大会新で優勝、そらに男子は1〜3位の表彰台独占。これ以上ない結果だった。自分には眩しくて、直視するのすら辛かった。素直に祝福できない自分に嫌気がさした。

 

4×400mRは謙吾と2人でスタンドから観戦した。謙吾もまた、前週の400mで足を痛め、出場できなかった。その謙吾の分まで自分が走って優勝するべきところを、自分のしくじりで台無しにしてしまった。結果は優勝争いに絡むことができず、3位だった。

 

そして続く6月も7月も私に復調の兆しは見えなかった。

 

-後半に続く-  

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