みずたに探究室。 ゆる〜いアスリートの日々の気づき

ひっそりと生きているアスリートが、日々の気づきや探究結果を公開しています。以下、絶賛連載中! "日本一ゆるい陸上選手の〜"シリーズ ①エッセイ『アスリートが社会のレースから降りてみた』 ②生き方提案『心が軽くなるネコ型お気楽ライフのすすめ』 ③指導の哲学『心を殺さない指導 脱・勝利至上主義』 ④走りの哲学『走りの3種の神器 -腹圧・乗り込み・重心移動-』

<<<旧記事>>>【瞑想について考えてみた】

自分は内省タイプなので、よく考え事で頭がいっぱいになる。ああでもないこうでもないと霧の中に入ったように思考がモヤっとし、そこから抜け出せなくなるのだ。
で、今はコロナショックで仕事が次々となくなり、考え事に耽る時間が多いため、瞑想について考えてみた。

▶瞑想とは、"何も考えないこと"ではない

頭をスッキリさせるための方法として、瞑想というものがある。座禅などがそうだ。

この瞑想を、私は"何も考えず頭を空っぽにすること"が目的だと思っていたのだが、実は違うらしい。

どうやら、"1つのことだけに集中して、その他のことを考えないようにすること"が目的らしい。なぜなら、"何も考えない"というのは人には無理だからだそうだ。寝てる時でも頭が働き夢を見るんだからそりゃそうだ。
"1つのことだけに集中"の"1つ"とは、座禅では"呼吸"なのだろう。

▶ゲームも瞑想になるらしい

1つのことに集中すれば瞑想になるのだから、ゲームも瞑想になるらしい。パズル・格闘・音ゲーのどれも、ゲームクリアだけに集中できるからだ。確かに自分は、純粋にゲームを楽しむことより、瞑想のためにゲームをやっていることが多いと思う。で、ゲームをしている間に思考がクリアになり、ふとした拍子に抱えていた問題の解決策が浮かんでくる。

▶自分にとっては、走ることが1番の瞑想だ

そう考えると、自分にとって1番の瞑想は走ることだ。走る時は、力を入れるタイミングを合わせることに全神経を集中させていて、まるで音ゲーリズムゲームのようだ。100mは約50歩で走るので、リズムゲームでperfectを50回連続でとる"フルコンボ"を目指しているのと似ている。

だから他人から"引退したのにまだ走ってて、走るの好きだね"と言われた時に、"別に好きじゃないんだよなぁ"と思う時があるが、走ることを楽しむのが目的というより、思考をクリアにする手段として走っている部分が大きいため、"走るのが好き"とは少しズレているのだと思う。
(ちなみに自分の場合、全力疾走は瞑想になるが、ジョギングは考える余地があるので瞑想にならない。"楽しくもないのになんで走ってるんだ?"とむしろ悩みが増長するので嫌いだ。)

▶今後も走り続けるだろう

そういえば社会人になって以降、仕事のアイディアが浮かぶのは、決まって走っている時だ。
瞑想にもなるし、体を動かすことで健康にもなるし、良いことづくめではないか。
だから今後も一生走り続けるのだろう。

 

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