みずたに探究室。 ゆる〜いアスリートの日々の気づき

ひっそりと生きているアスリートが、日々の気づきや探究結果を公開しています。以下、絶賛連載中! "日本一ゆるい陸上選手の〜"シリーズ ①エッセイ『アスリートが社会のレースから降りてみた』 ②生き方提案『心が軽くなるネコ型お気楽ライフのすすめ』 ③指導の哲学『心を殺さない指導 脱・勝利至上主義』 ④走りの哲学『走りの3種の神器 -腹圧・乗り込み・重心移動-』

<<<旧記事>>>"尊敬する人がいるかどうか"が、"自分の生き方を見定められているのかの指標"になる。 そして人生は楽になる。

先日、私の陸上指導を受けてくれている高校生との会話の中で、"環境調査票"という単語が話題に出た。

環境調査票というのは、(おそらく全国の)中高生が、年に1回学校サイドから強制的に書かされる紙ベースの調査のことで、家族構成や仲のいい友人などプライベートな内容を書かされるものである。
(余談であるが、これをなんのために書くのかという生徒側の疑問に対し、当時の担任は"お前らが卒業後に逮捕されたりしたときにメディアの記者の質問に答えるためだ"と言われた記憶がある。)

そんな環境調査票の項目の1つに、"尊敬している人"という欄がある。
これが長らく私を困らせた。

私の記憶では、それが人生初めて"自分が尊敬している人は誰が"という問いと向き合った瞬間だった。

周りの友人は、親や恩師や偉人を挙げていた。野球部に所属する友人は彼にとってのヒーローである"イチロー"と記入していた。
自分はどれもピンとこず、かといって時間内に書き終えなければならず、当時から大ファンだった"Mr.Children桜井和寿"と書いた。

環境調査票は毎年書かされるため、その翌年もさらに翌年も、"尊敬している人を書け"という問いを投げつけられ、そのたびにペンが止まった。

そして高校に進学後のある年、環境調査票を書いていると、ふと机に置いてある買ってもらったばっかりの電子辞書に目が止まった。

そこでなんの気なく"尊敬"という単語を調べてみると、

『尊敬』
→尊んで敬うこと。

と記載してあった。

そこで、尊いと敬うをそれぞれ調べてみると

尊い
→身分が高いこと、貴重・価値があること。

『敬う』
→相手を尊んで礼を尽くす。ついていきたいと思うこと。

この2つを調べてみて思ったことは、『自分にとってミスチルの桜井さんは、"自分とは違う道を登り詰めたすごい人"であって、決してついていきたいとは思っていない』ということである。
つまり、自分は桜井さんのことを、尊いとは思っているが、敬ってはいないのである。
したがって、桜井さんは"自分が尊敬している人"ではなかったのだ。
(のちに自分が桜井さんに抱く感情は"感心"に近いものだと知る。『感心する』→すごいと思うこと)

そんなことを頭の片隅に置きながら生活していると、ある日、"慕う"という言葉と出会った。

これはもしや"尊敬"と近い言葉かもしれないと辞書を引くと、

『慕う』
→学問・人徳などを尊敬して、それにならおうとする。

ここでも尊敬という言葉が出てきて、なんだかたらい回しのようにも感じたが、"学問"というところに目が止まった。
学問というと、なんとなく私は研究者が思い浮かぶ。
研究者とは、ある特定の道を選び、極めようとしている人たちのことだ。

なるほど、研究者は極めようとしている道があるから、その道の先にいる人物に尊敬の念を抱くのだ。

ならばと、自分自身にとって"極めようとしている道"はなんなのかを考えてみた。

それは、陸上競技である。

でも陸上競技において私は、"他人は全員ライバル"だと思っていた。
オリンピックで活躍するような選手でも、憧れるという行為は、自分がそこにたどり着くことを諦めて夢を手放してしまうこととイコールな気がするため、避けてきた
参考にする選手はいても、憧れを抱く選手は意識的に作らないようにしていた。

そしてここでまた、"憧れる"という新しい言葉が出てきた。

無論辞書で調べた。すると、

『憧れる』
→理想とする物事や人物に強く心が惹かれる。

なるほど、憧れの対象は人物だけでなく、物事でもいいのか。
ならば自分は"インターハイ優勝"という事象に憧れ、"インターハイ優勝者"という人物には憧れていないのであろう。

しかし極めたいと思っている道はあれど、その先頭を走る人物を素直に敬うことができないというのは、どうなのだろうか。
人として小さすぎやないだろうか。
いやいや、アスリートが勝ち進むためには孤独であるべきで、憧れなどという浮ついた感情は切り離すべきだろう。
そんな堂々巡りの思考を繰り返していた。

"アスリートと孤独"に関してもう少し深く言及すると、"日本のアスリートの多くは勝利至上主義に捉われ、負けると自分に対して無価値感を感じてしまう"と昔から言われているが、自分もそのうちの1人だった。

"人のために競技をしろ"という言葉は現役時代の私の耳にも入ってきていたが、個人競技陸上競技でそれは無理だろうと当時は思っていた。

時を現在に戻して、競技を2014年に引退して5年半、最近ようやく私もアスリート時代に纏っていた"勝利至上主義の悲壮感"のようなオーラとおさらばすることができた。

さらに脱サラをしたこともきっかけとなり、"志(このために生きる!と心から思えること)"を内省して探す時間が増えた。

そのことで"自分のために生きる"と"他人のために生きる"を2〜3年かけてリンクさせることができ、自分の今後の人生の歩み方をようやく定めることができた。

そうすると不思議と、これまでどうしてもできなかった、自分と似た道で前を走る人に対して"導いて欲しい!"という思いが湧き上がり、素直に他人を敬うことができるようになったのだ。

そして、今までは"自分と同じ道に立っている人は全員が"ライバル"だったのに対し今は、ライバル不在。むしろ自分と同じ道に立っている人はいない"と思えてきたのだ。
つまり、『全員に勝って"最強"にならねば』と思っていた私が、"無敵"になれたのだ。


その瞬間から、スッと肩の荷が落ちたように人生が楽になった。

 

偉そうなことは言えないが、自分と同世代、もしくは下の世代の人たちには、自分の人生をより良くするために、まずは尊敬している人がいるかどうか考えてみてほしい。
そしてそれが、憧れや感心することとは違う"尊敬"であるのか疑ってみてほしい。

"尊敬する人がいるかどうか"が、"自分の生き方を見定められているのかの指標"になり、人生がきっと楽になる。

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