みずたに探究室。 ゆる〜いアスリートの日々の気づき

ひっそりと生きているアスリートが、日々の気づきや探究結果を公開しています。以下、絶賛連載中! "日本一ゆるい陸上選手の〜"シリーズ ①エッセイ『アスリートが社会のレースから降りてみた』 ②生き方提案『心が軽くなるネコ型お気楽ライフのすすめ』 ③指導の哲学『心を殺さない指導 脱・勝利至上主義』 ④走りの哲学『走りの3種の神器 -腹圧・乗り込み・重心移動-』

<<<旧記事>>><箸休め>オーストラリアは街にも人にも打算や戦略が一切感じられない

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メルボルンブリスベンを歩いていると、四駆しか走っていないことが分かる。(スバルや三菱が意外と人気)
そしてホテルでTVに目を向けると、当たり前のようにキャンピングカーのCMが流れている。これにはびっくりした。

 

国土が広く壮大な自然が広がっているから当然なのだが、購買活動が生活に密着していて、すごく自然である。当たり前に必要なものを当たり前に買うことに終始している。

 

日本の広告は、"不必要なものをあたかも必要なものであるかのよう"に宣伝する。
"みんな持ってるのにまだ持ってないんですか?やばいですよ?"的な広告で、人々を焦らせたり惑わせたりする。

 

特に若者は、知らぬ間に"何かに飽きる→新しい何かに飛びつく→また飽きる→また新しい何かが出てくるのを待つ"というループに巻き込まれている。
Tik Tokとかがその象徴だ。
そこには"暇が最高の贅沢"という考えがスッポリ抜けている。充電のための余暇の時間を自ら忙しくしてしまい、どんどん疲弊していく。

いま、一時的に日本を離れ、そのループから解放された私からはそのように見える。

 

暇な時間を作って映画や本を読んだり誰かと会ったりするのが私にとって至高の時間なのだが、日本では"暇は良くないことだから誰かを誘って何かをする"という人が本当に多く見受けられる。

 

私はそういった"不自然さ"がすごく苦手で、だから大都市でも看板や広告のないヨーロッパや一部アジアの街並みが好きで、逆に日本やアメリカの大都市のネオンは落ち着かず苦手。
キャンピングカーのCMが流れているオーストラリアは大好きである。

 

私は日本に戻ったら自分の意思で、自分の余暇のために、キャンピングカーに一番不向きの東京で、キャンピングカーを買おう、というお話。