<<<旧記事>>>【ぺこぱのツッコミに見え隠れする、桜井和寿のミスチルイズム】 ~トップアスリートは、ぺこぱやミスチルになれるのか。~
今更ながら、ぺこぱの漫才について熱く語ってみました。
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【ぺこぱのツッコミに見え隠れする、桜井和寿のミスチルイズム】
~トップアスリートは、ぺこぱやミスチルになれるのか。~
2019年の漫才王者を決める M-1グランプリ。
決勝の1stラウンドの最終組に登場したぺこぱが会場を沸かせた。
その時に自分がぺこぱの後ろに見た桜井和寿と、アスリートがぺこぱやミスチルになるにはどうしたらいいのかを考えました。
私はお笑い芸人が好きで、深夜のラジオやお笑い番組は欠かさずチェックしている。
ある番組の中でナイツの塙が、若手漫才師へのアドバイスとして、"自分が今まで聞いてきた音楽をもとに漫才を作るといい"という言葉を送っていた。
塙自身はYMOを聴いていたのでピコピコ系のリズムが肌に合い、ヤホー漫才ができあがったらしい。
他に分かりやすい例をあげると、バイキング小峠は"なんて日だ!"でお馴染みのシャウトツッコミをする。
小峠自身はB'zの大ファンなので、これも自分の聴いていた音楽をルーツにしているからこそ、自然なツッコミなのだとうなずける。
その話を聞いてから、"もし自分が漫才を作るなら、ミスチルのリズムだな"とずっと考えていた。
そして昨年のおもしろ荘に、突如ぺこぱが現れた。
ぺこぱの漫才は、
❶シュウペイがボケる
→❷松陰寺が一般的な否定つっこみをすると見せかける
→❸すると松陰寺が否定せずに優しく包み込む
という3stepを1つのくだりに詰め込んだシステム漫才だ。
そのとき私は、"桜井和寿だ!"と雷に打たれた気持ちになった。
桜井さんが作る名曲の1つのパターンとして、
❶ありふれた理想論のフレーズを言う
→❷"そんなに世の中単純じゃない"と否定する
→❸"でもやっぱり優しい世界を信じたい"と最後前を向く
"ありふれたフレーズを言う→否定すると見せかける→最後は受け入れる"
ぺこぱのツッコミは、まさに私が幼い頃から聞いていたミスチルイズムそのもので、
それを漫才に、しかもツッコミのたったワンフレーズに詰め込んだぺこぱに嫉妬にも似た感嘆の念を抱いた。
と、同時に"否定せず多様性を受け入れる器の大きさ"を求め出している時代の潮流の中(要は"仲間外れを作らない"ということ。"仲間外"ではなく、全員を"仲間内"にすること。)、スポーツ界でアスリートがぺこぱの漫才のような、ミスチルの曲のようなメッセージを届けるするにはどうしたらいいのか、と最近よく考える。
代表的なものがパラスポーツだろう。
自分はパラスポーツの活動のことを、『子どもの頃に身体的な理由が原因で、
友人と一緒に鬼ごっこやドッヂボールができなかった子たちに"障害があっても皆とスポーツできるよ!"とメッセージを伝え、スポーツ"という器を広げていく活動』だと受け取っている。
また、女性アスリートの活躍は、女性の社会進出のシンボルだし、マスターズスポーツは高齢者になっても元気というシンボルとしての役割がある。
では、健常者のトップアスリートではどうなのだろうか。
"才能ない私でも日本一になれたよ!"と伝えることだろうか。"日本人でもやれたよ!" "個では勝てないけど、チームワークで世界一になったよ!"だろうか。
それとも"私は競技力はないけどスポーツ界でやり甲斐を持って活動してるよ!居場所があるよ!"と伝えることだろうか。
今の時代アスリートは何を伝えられるのか。
そんなことを日々、考えている。