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<<<旧記事>>>【 大学陸上 3分4秒の思い出 】

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   平成最後の本日4月30日、陸上競技400m選手の山﨑謙吾(以下、謙吾)が第一線から退くことをSNS上で発表しました。同い年で同じ種目をしていた私にとって、彼は高校時代から憧れの存在で、私なんかがライバルと謳うにはおこがましいほど雲の上の存在です。

 

    そんな彼と縁あって大学の4年間同じチームで競技に打ち込むことができました。2011年 日大陸上部短距離 冬の時代に入学、謙吾の1~2年目の苦悩、3年時の関東インカレの400m優勝&3人入賞、4×400mR優勝、世界陸上代表まで駆け上がった謙吾、4年目の苦悩、そして大学最後の全日本インカレ。

 

   口下手な彼のことなのできっと今回の決断に対する発言も少ないことでしょう。笑

大学同期で唯一同じ種目だった私の視点を通して、競技者としての彼を誰かの記憶に残せたらなと思います。

 

   謙吾は高校時代から400mを46秒というタイムで走り、インターハイ2連覇、加えて日本ジュニア・国体の3冠を成し遂げ、陸上競技の雑誌では表紙を飾り特集も組まれるなど、輝かしい実績を残しています。高校2年時に東京都で1番だった私は、隣の県に彼がいたことで調子に乗らずにいられました。

 

   私は付属高校出身ということもあり日本大学へ進学しましたが、彼のようなトップ選手の進学先の決定には、様々な理由があったはずです。そしてその理由の1つは次のものだったと記憶しています。

 

   謙吾が高校2年時に優勝した奈良インターハイ、優勝予想の下馬評を分けていたのが、当時中学記録保持者でのちにチームメイトになる柳澤純希さんでした。競技者としてはもちろん、人間性にも優れた一つ年上の彼が先に日大に入学したことも要因だったのでしょう。

 

   この世界では高校のスター選手が大学進学後に苦戦するということはよくあることで、そのジンクスに悩まされた純希さん・謙吾も1~2年目は高校時代の記録を越せない日々を過ごしていました。 一方の私は1年目こそ大学のレベルの高さに体も心もズタボロになりましたが、2年目の夏に運よく 400m 47"55という好タイムを残すことができました。

 

   そんな私の運命を決定づけたレースがあります。それは謙吾と私が大学2年生の2012年秋に日産スタ ジアムで行われた、リレー種目の日本一を決める"日本選手権リレー"という大会です。これは代替わりして新チームとなり、柳澤純希さんが我々の短距離キャプテンとなった最初の試合でもありました。


   夏に結果を出した私も他の選手の代役で4×400mRのメンバーに選んでもらえました。またこの時期に は謙吾も本来の調子を取り戻してきていました。結果は3位でした。アンカーの謙吾がラスト100mで先頭に踊り出るも、最後に惜しくも交わされてしまうという展開でした。

 

   ゴール後の謙吾は優勝できなかったことに落ち込んでいるのかと思いきや、鋭いまなざしで『こういうレースをずっとしたかった』とポツリと呟いていました。普段口数の少ない謙吾から漏れたあの発言を思い出すと、今でも血液が沸騰し身震いがします。


   レース後、コーチからは『謙吾が仕掛けるのが少し速かったな。もう少し我慢できていたら勝てていたぞ。でもまだ若いからそれでいいんだ。来年はこのチームで勝ちにいくぞ』とお言葉をいただきました。本当の意味で新チームが発足した瞬間です。


  それと同時に、メンバー入りの当落線上にいた私は、"人生で二度あるか分からない熱量を前にしている。このチームの一員になれなかったら一生後悔する"と、その瞬間から視座が1つも2つも上がったことを覚えています。その年の冬の練習は、期待と焦りの入り混じった密度の濃いものとなりました。


   そして迎えた2013年5月のインカレ、私は4×400mRのメンバーに選ばれました。また、リレーより先に行われた個人種目の400mでは、謙吾が優勝、純希さんと私が入賞し、3人同時入賞を果たしました。そして、この3人に今現在も日本選手権800m 6連覇している同期の川元奨を加えた4人が、我々のリレーメンバーです。


   レース前に、スタート地点に向かって歩く謙吾が私と川元を引き留め、純希さんから距離をとり、こう話しかけました。

『純希さんの最後のインカレだから、絶対に勝とう』
これに対し川元が『分かってるわ』と一言呟いて足早に歩き始めました。

 

   普段であればレース前のスイッチが入った状態の謙吾は、口数が極端に少なくなるため誰かに話しかけることはしません。川元も同じです。同世代の大スター3人と同じ時間、同じ熱量を共有できたあの 瞬間は、今でもあの時の鮮度を保ったまま脳裏に焼き付いています。

 

   結果は、2位に約2秒差をつけ優勝することができました。記録も3分4秒台という好記録で、第1走者 の私も46秒台という実力以上のパフォーマンスを発揮することができました。あの瞬間を超える興奮は、たとえ生まれ変わったとしても、もう二度と体験できないと確信しています。

 

   かつてのチームメイトで、憧れの選手の決断。彼の引退を持って5年前に終わった私の陸上競技人生も、本当の意味で終わりを迎えたなと感じます。本当にお疲れさまでした。これからの更なる活躍を応援しています。

 

【参考】

●2012年日本選手権 4×400mR決勝:

https://youtu.be/JgHE_InrdFA

 

●2013年関東インカレ4×400mR決勝:

https://youtu.be/-FvLENM86Nk

 

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